単原子積層法によるナノ磁性体の作製と軟X線放射光を利用したその場磁気測定
概要
物質を構成する基本要素である原子を単原子厚単位で自在に積層制御して、通常の固体結晶相として得られない新しい物質相を人工的に創製する手法が確立されつつある。本研究では、超高真空下における単原子積層法により、非磁性金属のクロム(Cr)と磁性金属の鉄(Fe)から構成される厚さ数原子層のナノ磁性体を作製して、構造評価と軟X線放射光を利用したその場磁気測定を行った。本研究で取り上げるナノ磁性体は、巨大磁気抵抗(GMR)素子の系としてしられるFe/Cr/Fe人工格子の界面形成を模したモデル系と考えられる。単結晶基板上に作製した厚さ数原子層のFe積層表面に対してCrを微量被覆して、その被覆量に対する構造と磁気特性を調べることにより、Cr/Fe界面形成に伴う構造と磁性の変化をとらえることができた。
背景
物質を構成する基本要素である原子を自在にビルドアップして、電子状態計算に基づきあらかじめ設計した望みの特性を示す材料を得ることは、物質科学の一つの挑戦であり、これを現実に近づける体系的方法論として物質設計という概念がある。本研究で用いる単原子積層法は、物質設計を実行するための基本要素となり得るので重要である。この手法で作製される厚さ数原子層のナノ構造は、原子スケールの微視的な構造と電子状態が、その物性や材料特性に直接反映される。逆に言えば、物性の電子論的理解が直接可能であるということであり、電子状態計算を基に物質設計を行う舞台において理想的な研究対象になりうる。しかしながら、このようなナノ構造は、厚さ数原子層という特殊性ゆえ、研究展開のボトルネックとなるいくつかの問題が存在する。一つは、厚さ数原子層の範囲の中で、乱れのない構造が作製され、微視的な構造が十分に評価され保証されなければならないことである(構造定義の問題)。もう一つは、一連の物性測定の間、作製されたナノ構造が保たれなければならないことである。大気暴露による試料損傷は論外であるし、大気接触を避けるために試料上に保護層を積層することも許されない(構造保存の問題)。
我々の研究グループでは、これらの問題を解決した上で、単原子積層制御されたナノ磁性体の微視的構造と磁性の関係に注目した研究を進めるために、専用の実験装置を放射光ビームラインに直結させて整備してきた。構造定義の問題を解決するために、電子線回折の手法を取り入れ、試料作製中のリアルタイム積層制御と試料作製後の詳細な構造評価を可能にした。また、試料作製から、構造評価、磁性および磁気特性の測定まで、一貫した超高真空下その場測定を行うことができるシステムを整備することにより、構造保存の問題を解決した。磁性および磁気特性の測定には、軟X線放射光とその偏光特性を生かした分光手法(磁気円二色性)を利用する。この手法は、厚さ数原子層という微少体積の試料に対しても十分な測定信号を得ることができ、かつ、磁性体の元素種別を選別した磁気測定が可能である。
本研究では、単原子積層制御されたナノ磁性体の構造と磁性を調べる取り組みのひとつとして、銅(Cu)単結晶基板上に作製した厚さ3原子層(ML)のFe積層表面に対してCrを微量被覆したナノ磁性体を作製して、その構造と磁性を調べた(図1)。このCr/Fe/Cu(001)構造に対する研究は、GMR素子のFe/Cr/Fe人工格子の界面形成と界面状態を洞察するために重要であるとともに、極薄の理想的Fe単原子強磁性層の磁気的性質が、非磁性金属原子の吸着という制御可能な外部摂動に対して、如何に振る舞うのかという科学的テーマとしても興味深い。今までの研究から、Fe単原子強磁性膜は、その構造が膜厚に依存して、12ML以下の膜厚では、通常の固体結晶相のBCC格子構造とは異なる構造をもった特別な構造相を示すことが明らかになっている。また、構造とともに、その磁性も膜厚に依存しており、2~4MLの厚さ(膜厚領域I)では、FCT格子構造の垂直磁気異方性を伴う強磁性(面直強磁性)、4~11ML(膜厚領域II)では、表面2層だけがFCT格子構造の面直強磁性で、それより内部はFCC格子構造で強磁性が消失していると考えられている。単純なFe単原子層について取り上げるだけでも興味深いが、それに異種原子を被覆して界面形成していく場合の構造と磁性の変化を追うことは、人工的な単原子制御により物性制御される様子を観察することにもなるので、さらに重要な意味を帯びてくる。このような背景のもと、本研究では、今まで明らかにされていないCr/Fe界面形成に伴う構造と磁性の変化を調べるために、Cu基板上に作製した3MLのFe積層表面に対してCrを微量被覆して、その被覆量に対する構造と磁性および磁気特性を調べる実験を試みた。
実験結果および考察
本研究のナノ磁性体Cr/Fe/Cu(001)は、超高真空中において、Cu(001)単結晶基板にFeおよびCrを蒸着させることで作製された。あらかじめ清浄化した単結晶基板表面を、入念に脱ガス処理した蒸着源を電子衝撃加熱することで得られる原子フラックスに曝露することで、高純度の積層を実現できる。1原子層の積層あたり数分程度の比較的遅い成長速度で積層させるので、膜厚をリアルタイムモニタしながら、任意の積層厚で試料作製することができる。膜厚モニタには、高速電子線回折(RHEED)を利用した。回折ストリークはCCDカメラで撮影され、PCに取り込まれる。PCは瞬時にストリークの強度積分が解析して、蒸着時間に対する回折強度グラフを表示する。回折強度グラフが振動することから単原子層成長が確認でき、振動のピークで蒸着を止めることで任意の整数原子層厚の試料を得ることが可能である(図2)。本研究では、Feを3ML蒸着してその後Crを必要量蒸着することで、Cr/Fe/Cu(001)を得た。
作製されたCr/Fe/Cu(001)は、低速電子線回折(LEED)により構造解析を行った。Cr被覆のないFe/Cu(001)試料と、Cr被覆量を0.1ML相当量ずつ増やしたCr/Fe/Cu(001)試料について、LEED測定を行うと、3原子層のFeに特有の(4×1)周期構造から、(4×1)と(2×1)の共存相を経由して、0.5ML相当量のCr被覆で(2×1)周期構造に至ることが確認できた。これは、Cr被覆量を増やしていくにしたがって被覆のないFe表面が占有されていき、最終的に一様にCr被覆された構造に至ることを示す結果であると考えられる。また、0.5ML相当量のCr被覆試料に対して、LEEDの電子線エネルギーに対するスポット強度解析(LEED I-V解析)を行うと、この構造がFe単原子積層の膜厚領域IIと同様、界面だけがFCT格子構造でその下のFe層はFCC格子構造である可能性が高いことが明らかになった(図3)。これは、Cr被覆による界面形成により、積層構造に微視的な変化が起こる現象として理解できる。
同様の試料に対して、軟X線吸収の磁気円二色性実験を行い、磁性と磁気特性(温度-磁化曲線)の測定を行った。磁気円二色性実験は、試料を帯磁させて残留磁化を与え、円偏光軟X線に対する吸収スペクトルを測定する方法で行われた。残留磁化を反転させて吸収スペクトルを測定し、反転前後の差分スペクトル(MCDスペクトル)を得ることで、試料の磁性原子の磁気モーメントを解析することができる。また、MCDスペクトル強度は、磁化に比例するので、試料温度を可変して測定を実施することで、磁気特性(温度-磁化曲線)を測定することができる。本研究では、Cr被覆のないFe/Cu(001)試料と、Cr被覆量を0.1ML相当量ずつ増やしたCr/Fe/Cu(001)試料について、試料温度可変させた磁気円二色性実験を実施した。それぞれの試料で、低温になるほどMCD強度が増強され、同じ温度では、Cr被覆が多い試料ほどMCD強度が減少する(図4)。この結果を温度磁化曲線としてまとめると、Crの被覆によりFe層の強磁性が不安定化して、キュリー温度が低下することがわかった。また、Cr被覆がある試料では、被覆がない試料と比べて、強磁性転移の臨海指数が明らかに減少しており、二次元的な強磁性秩序の性質を強めている(図5)。
本研究は、理想的に作製した3原子層のFe積層構造に対してCr被覆を施すと、Cr/Fe界面生成により、積層の微視的構造が変化して、同時にFe層の磁気特性がドラスティックに変化することを明らかにした。Cr/Fe界面生成による構造と磁性の変化は、互いに関連していると考えられ、Fe単原子層の膜厚領域IIのアナロジーから、界面層だけが二次元的な強磁性を保ち、内部層の磁性が消失しているモデルを提案できる。
意義
人工的な単原子制御でナノ構造試料を作製して、十分な構造評価を行い、そのままの試料状態で物性評価を実施することは、能動的物質探索の基礎になる。特に、厚さ数原子層のナノ構造は、原子スケールの微視的構造と電子状態が、その物性や材料特性に直接反映されるので、電子論的立場からの物性制御や物質設計のための理想系として重要である。本研究では、このような原子層厚試料を研究する際に問題となる構造定義と構造保存の問題を解決して、Cr/Fe界面形成に伴う構造と磁性の変化をとらえる実験を行うことができた。単原子制御試料作製と構造評価に、放射光のエネルギー可変性・偏光特性を生かした分光手法に基づく磁気測定手法を組み合わせることにより、微視的視点で構造と磁性の関係を論ずることが可能になった。この手法は、物質設計による磁性体材料開発や磁気抵抗素子開発、単原子層制御による磁気特性制御技術につながっていくと期待される。