成果

ナノサイズ磁石を「創る」「観る」「測る」実験システムを独自開発
~次世代高密度磁気記録デバイス材料の研究開発に弾み~

ポイント

研究の概要

国立大学法人 広島大学【学長 浅原利正】放射光科学研究センター【センター長 谷口雅樹】(以下「HiSOR」という)の上野哲朗研究員、沢田正博准教授を中心とする研究グループは、ナノメートル(10億分の1メートル)サイズの磁石の研究に特化した実験システムを開発しました。

本実験システムはHiSORのシンクロトロン放射光※1施設に設置されており、数ナノメートル程度の微小な磁石アレイ※2の作成、原子分解能の走査型トンネル顕微鏡による原子配列の観察、シンクロトロン放射光を活用した磁性測定を一挙に行うことが可能になりました。本実験システムを利用した研究により、原子サイズに迫る微小な磁石アレイを用いた次世代の高密度磁気記録デバイス材料の開発など、ナノテクノロジーにおける飛躍的な発展に貢献します。

本研究成果は、米国の科学機器専門誌「レビュー・オブ・サイエンティフィック・インストゥルメンツ(Review of Scientific Instruments)」に掲載されました。
(掲載された論文はこちら)

広島大学お知らせ
[研究成果]ナノサイズ磁石を「創る」「観る」「測る」実験システムを独自開発

研究の背景

次世代の高密度磁気記録デバイスとして注目されているパターンド・メディア※3は基板上に規則的に配列した無数の微小な磁石(強磁性クラスター)で構成されます。個々の強磁性クラスターが磁化の向きによりデジタル情報(0と1)を表すことで、超高密度の磁気記録を実現します。このような特性は磁石をナノメートルサイズまで微細化することではじめて得られます。磁石材料として知られるコバルト原子を、金の表面に積層すると、大きさが一定で規則的に配列したコバルト・クラスター(コバルト原子の集団)を形成することが知られています(図1参照)。このコバルト・クラスターがパターンド・メディアとして利用可能かどうかを調べるためには、原子配列と磁気的性質を同時に調べることが不可欠です。

原子配列を調べるための実験装置として走査型トンネル顕微鏡※4が広く用いられています。走査型トンネル顕微鏡とは、極めて細い探針(原子1個程度の太さ)を試料表面で走査しながら電流(トンネル電流)を測定することで、試料表面の原子の配列やナノメートルサイズの構造情報を得ることができる実験装置です。

一方、高密度磁気記録デバイス材料の機能を調べるための強力な手段が、シンクロトロン放射光を利用した分光実験です。シンクロトロン放射光の偏光性を利用するX線磁気円二色性分光※5という手法では、ナノメートルサイズの極めて微小な試料の磁性測定が可能です。

走査型トンネル顕微鏡とシンクロトロン放射光を組み合わせて、高密度磁気記録デバイス材料の構造と機能を一緒に調べることができれば研究が飛躍的に進展するということは、世界中の研究者に認識されてきました。しかし、トンネル電流を測定するには探針と試料表面の距離を1ナノメートル程度まで近づける必要があります。探針と試料表面が接触すると測定できなくなるため、走査型トンネル顕微鏡には装置外部からの振動を軽減する仕組みが備えられ、通常は振動の少ない静かな環境で使用されています。外部からの振動に弱い走査型トンネル顕微鏡を、振動要因の多いシンクロトロン放射光施設に設置して運用することは難しく、これまでほとんど行われてきませんでした。

研究の内容

本研究グループは、これまで広島大学HiSORのシンクロトロン放射光施設にX線磁気円二色性分光を行うための実験装置を開発してきました。今回、高密度磁気記録デバイス材料の研究に不可欠な原子配列の観察手法として走査型トンネル顕微鏡を導入し、シンクロトロン放射光利用環境と組み合わせた総合的な実験システムを構築しました(図2参照)。走査型トンネル顕微鏡への振動の伝播を軽減するための工夫を施すことで、振動要因の少ない部屋に設置して運用する場合と比較して遜色のない性能を維持しました。実験装置が所望の性能を達成していることを、シリコン表面の走査型トンネル顕微鏡像を観察して確認しました(図3参照)。ナノメートルサイズの磁石研究の実例として、金の表面にコバルト原子を積層したコバルト・クラスター・アレイを作成し、走査型トンネル顕微鏡による構造観察とX線磁気円二色性分光による磁性測定を初めてその場で行うことに成功しました(図4参照)。

今後の展望

本研究成果ではシンクロトロン放射光施設において走査型トンネル顕微鏡実験を行うことができる実験システムを開発し、実際に金表面に作成したコバルト・クラスターの構造と磁気状態を調べました。本実験システムを使った研究によって、次世代高密度磁気記録デバイス材料の研究開発が飛躍的に発展することが期待されます。

研究体制

本研究は、広島大学放射光科学研究センター中期計画における重点研究課題として、継続的に取り組まれてきた研究のひとつです。また、本研究の一部は、日本学術振興会・科学研究費補助金・特別研究員奨励費「放射光を用いた低次元ナノ磁性体の特異な磁性の電子論的解明」(平成21〜22年度、研究代表者:上野哲朗)の助成を受けて実施されました。

図1. 本実験システムで観察した金表面上のコバルト・クラスターの走査型トンネル顕微鏡像。青い部分が金表面、黄色い部分がコバルト・クラスターを表します。大きさの揃ったコバルト・クラスターが規則的に並んでいる様子が見て取れます。

図2. シンクロトロン放射光施設HiSOR(上)とビームライン全体図(中)、本実験システムの鳥瞰図と測定中の様子(下)。

図3. (a) 走査型トンネル顕微鏡装置をX線磁気円二色性観測装置に接続する前に観察したシリコン表面の走査型トンネル顕微鏡像。(b)接続した後に観察したシリコン表面の走査型トンネル顕微鏡像。(c) (a)の白線上の断面図。ピークがそれぞれ原子の粒に対応。(d) (b)の白線上の断面図。

図4. 本実験システムの応用例。(a) 金表面のコバルト・クラスターの走査型トンネル顕微鏡像。暗い部分が金、明るい部分がコバルトを表します。(b) (a)の像での金表面とコバルト・クラスターの割合を示したグラフです。コバルト・クラスターに厚さが異なる(2原子厚と3原子厚)部分が混在していることがわかります。(c) (a)の走査型トンネル顕微鏡像を観察した直後に測定したX線吸収スペクトル。赤線と青線の差がX線磁気円二色性で、コバルト・クラスターの磁化の大きさに対応します。(d) X線磁気円二色性の強度((c)の赤線と青線の差分)を試料の温度を変えながら測定したもの。室温(297K(ケルビン))から低温(89K)へ温度が下がっていくにつれて強度が大きくなっています。これは、低温ほどコバルト・クラスターの磁化が安定していく(磁石のN極S極の向きが揃っていく)ことを示しています。

用語解説

※1 シンクロトロン放射光

電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向(電子軌道)が曲げられる際に電子軌道の接線方向に放射される強い光のことです。 戻る

※2 磁石アレイ

固体表面に数十個〜数百個の原子からなる微小な磁石が規則的に配列した構造です。配列している一つ一つの微小な磁石を記録素子として、超高密度記録媒体として応用できる可能性があります。 戻る

※3 パターンド・メディア

数10ナノメートルの大きさの微小な磁石を並べて、個々の磁石の磁化(N極とS極の方向)を0と1のデジタル情報と対応させることで情報を記録する磁気記録媒体です。現在の主流である垂直磁気記録方式(100ギガビット/平方インチ)に比べて、10倍以上の1テラビット/平方インチ級の記録密度の実現が期待されています。 戻る

※4 走査型トンネル顕微鏡

極めて細い探針(原子1個分程度の太さ)を試料上で走査しながら電流(トンネル電流)を測定することで、物質表面を原子程度の大きさまで拡大して観察することができる顕微鏡です。 戻る

※5 X線磁気円二色性

円偏光したX線が磁化をもつ物質を透過する際に、円偏光の方向(右円偏光または左円偏光)によって透過後のX線の強度に差が現れる現象です。X線の波長を連続的に変えながらこの強度を測定する実験手法がX線磁気円二色性分光で、物質の磁石としての性質を調べることができます。 戻る