超高分解能角度分解光電子顕微分光装置の開発に成功
本研究成果のポイント
- 真空紫外レーザーを用いた走査型の超高分解能角度分解光電子顕微分光装置を開発
- 空間分解能が高い超精密電子状態解析を初めて実現
- 銅酸化物高温超伝導体の微細電子状態の空間マッピングに成功
概要
角度分解光電子分光(ARPES: Angle-resolved Photoemission Spectroscopy)は、固体表面に光を入射して、光電効果により物質外に放出される電子の「エネルギー」と「角度」を計測することで、物質中の電子の運動(電子状態)を直接的に調べることができる実験手法です。物質が示す様々な性質(物性)は、その物質の電子状態と密接に関わっているため、ARPESは物質の性質の起源を探る上で強力な手法です。特に、電子状態を精密に調べる上で欠かせない「エネルギー・波数」の分解能が著しく向上させることにより、微視的な電子構造から巨視的な物性起源の解明が可能になると期待されています(銅酸化物高温超伝導体におけるd波超伝導ギャップの解明や強相関電子系の有効質量の起源の解明など)。一方で、ARPESは表面敏感な手法であり、精密計測のためには試料の平坦性や均一性が必須です。しかし実際の試料表面には、欠陥・不純物・亀裂・傾斜・歪曲が存在します。従来、光電子をとりだすための入射光の大きさは0.1~1ミリメートル程度であり、それが超精密ARPES計測の空間分解能を制限していました。空間分解能が高くないために、平坦でない表面領域からの信号が混入し、スペクトル幅の増大や分裂(多重反射)などが生じ、物性起源の解明に著しい制約を与えていました。世界最先端の物質科学研究に的確に対応するため、超精密ARPES計測の空間分解能の向上が国内外の研究者から強く求められていました。
そこで、広島大学放射光科学研究センターと産業総合技術研究所の研究グループは、真空紫外レーザー光源を用いた超高分解能の「角度分解光電子顕微分光装置」を開発し、高いエネルギー分解能(<260μeV)および高い角度分解能(<0.05度)に加えて高い空間分解能(<5μm)を世界で初めて実現しました。本装置により、超精密ARPES計測の空間分解能を10倍向上させ、従来よりも本質的・精密な電子状態の解析が可能となりました。本装置により空間分解能の高い超精密電子状態解析が初めて可能となり、従来に比べて10000倍の実験データが得られるようになりました。本研究では、膨大な実験データを定量的に解析し、微細電子状態が空間的にどのように変化しているのかを可視化する手法も合わせて開発しました。新しく開発した超高分解能角度分解光電子顕微分光装置は、世界最先端の物質科学研究に大きく貢献するものと期待されます。
本研究成果は、Elsevier 社の科学雑誌「Ultramicroscopy」に平成29年6月15日に掲載されました。
雑誌名:「Ultramicroscopy」
論文タイトル: Development of laser-based scanning μ-ARPES system with ultimate energy and momentum resolutions
(和訳:超高分解能(エネルギー・波数)の走査型マイクロARPES装置の開発)
著者: Hideaki Iwasawa, Eike F. Schwier, Masashi Arita, Akihiro Ino, Hirofumi Namatame, Masaki Taniguchi, Yoshihiro Aiura, Kenya Shimada
URL: http://dx.doi.org/10.1016/j.ultramic.2017.06.016
研究の背景
角度分解光電子分光(ARPES: Angle-resolved Photoemission Spectroscopy)は、固体中の電子状態(電子のエネルギー・波数分布)を直接的に調べることができる「波数空間のプローブ」です。ARPES測定では、固体表面に光を入射し、放出される光電子の運動エネルギーと放出される角度を計測します。角度は固体中の電子の波数に対応づけることができます。これまでのARPES装置の開発においては、電子状態を精密に調べるために必要な「エネルギー・角度(波数)分解能」の向上に焦点が置かれてきました。近年では、光電子分析器のエネルギーおよび角度の高分解能化が急速に進み、銅酸化物高温超伝導体におけるd波超伝導ギャップの解明や強相関電子系の有効質量の起源の解明などが初めて可能となりました。超精密ARPES測定(エネルギー・角度(波数)の分解能が高いARPES測定)は物性研究を支える重要な実験手法の1つとなっています。
超精密ARPES測定では真空紫外光(波長:10〜200ナノメートル;1ナノメートル=10-9メートル)を用いることが多いのですが、この光を用いると主に表面から測って0.1ナノメートル程度までの電子状態が検出されるため、ARPESは表面敏感な測定手法です。また超精密APRES測定では、結晶表面の並進対称性が保たれた平坦で均一な試料が必要となります。つまり、試料の清浄性・平坦性が、実験の成否を握る鍵と言えます。しかし実際の試料表面には、欠陥・不純物・亀裂・傾斜・歪曲が存在します。従来、光電子を取り出すための入射光の大きさは0.1~1ミリメートル程度であり、それが超精密ARPES計測の空間分解能を制限していました。空間分解能が高くないために平坦でない表面領域からの信号が混入し、スペクトル幅の増大や分裂(多重反射)などが生じ、物性起源の解明に著しい制約を与えていました。世界最先端の物質科学研究に的確に対応するため、超精密ARPES計測の空間分解能を高めることが国内外の研究者から強く求められていました。
装置のコンセプト
高空間分解能を用いた実空間・局所領域の電子状態の計測手法としては、「光電子顕微鏡」と「走査型光電子顕微分光」が挙げられます。
光電子顕微鏡は空間分解能が非常に高いのが利点です。しかし、「波数空間のプローブ」としては、エネルギー分解能が劣る点、試料表面の電荷分布に非常に敏感な点などの問題があります。つまり、「波数空間のプローブ」としての機能の面では、従来の超精密ARPES装置にははるかに及びません。一方、走査型光電子顕微分光は超精密ARPES測定が原理的には可能ですが、光を微小な領域に集光する際の強度の減少が著しく、実質的に超精密ARPES測定が困難な状況にありました。
本研究グループでは、真空紫外レーザーに集光レンズを組み込んだ微小光源を用いれば、走査型光電子顕微分光装置を用いて超精密ARPES測定が可能になると判断し、新しい装置の開発に着手しました。
装置の詳細
本装置は、「微小光源」・「超高精度試料制御」・「高分解能光電子分析器」の3つの部分からなります(図2)。ここで「高分解能光電子分析器」は、従来の超精密ARPES測定で使用されているものと同じであるため、以下では、今回新たに開発を行った「微小光源」・「超高精度試料制御」の2つについて説明します。
微小光源 :集光後も高い入射光強度を保持するために、本研究では、非常に高輝度かつ指向性の高い「真空紫外レーザー」を用いることで、「マイクロ集光」と「高輝度」の両立を実現しました。真空紫外レーザー光源は、Tiサファイアレーザーの高次高調波(4倍波)を利用し、最終波長を193-210nmの間で連続的に変化させることが可能です。また超精密ARPES計測を実現するために必要な要件(レーザーパルス幅・繰り返し周波数・輝度)を満たす真空紫外レーザーが導入されました。真空紫外レーザーは、測定槽直前の大気下に設置され、微小集光と簡易制御を両立しました。試料位置上での入射光・理論集光径は3マイクロメートルになります。
超高精度試料制御 :光電子顕微分光測定を行うためには、微小集光した入射光に対して、試料位置を超高精度で走査し、光電子分光測定を行う必要があります。本研究では、試料位置を超高精度に制御可能なXYZステージ(iXYZ、エキップ)を導入することで、サブマイクロメートルの位置制御分解能を達成し、入射光サイズよりも高い分解能での位置制御を実現しました。また、XYZ軸全てにリニアエンコーダーを有することで、高い位置再現性を担保しました。さらに、ARPESの機能性を保持するために、試料の角度を高精度に制御できる極低温・高精度2軸試料マニピュレーター(i-GONIO LT、アールデック)と高精度回転ステージ(iRS152、真空光学)を組み合わせました。これらにより、超高精度6軸制御システムの構築に成功しました。
装置の性能
本装置では、高いエネルギー分解能(<260μeV)、高い角度分解能(<0.05度)、高い空間分解能(<5μm)の両立を世界で初めて実現しました(図3)。以下、エネルギー分解能・空間分解能・角度分解能の順にそれぞれ説明します。
高エネルギー分解能 (図3右上):多結晶の金の光電子スペクトルのフェルミ端の解析から、本装置のエネルギー分解能は260μeV以下と見積もられました。この幅は、光電子検出器の分解能(250μeV)と入射光の自然幅(66μeV)の寄与の二乗和平方根に該当します。
高空間分解能 (図3左):微小集光したレーザーと超高精度6軸制御システムの性能評価として、銅酸化物高温超伝導体Bi2212(Bi2Sr2CaCu2O8+δ;過剰ドープ、Tc = 75 K)のARPES空間マッピング(試料表面上の測定点を移動しながらARPES測定を逐次行う)を行いました。はじめに試料全体を大まかにマッピング(100μmステップ)して全体像を把握したうえで、その中から一点(図3左上:青枠)を抽出しました。次に、選択した100×100μm2の領域を、5μmステップで細かくマッピングしました。スペクトル強度やスペクトル幅がステップ毎に大きく変調することから、設計値通りの高い空間分解能(<5μm)の空間像を得ることが出来できることを確認しました。
従来の超精密ARPES計測に比較して、測定点は10000倍以上に増えたため、膨大な実験データを解析する手法の開発も行いました。これにより微細電子状態が試料表面上でどのように変調を受けているのかを初めて可視化できるようになりました。例えば、それぞれの測定点で図3右下・左側に示すようにフェルミ準位における波数分布曲線を抽出し、ピーク強度とピーク幅を求めることができます。100×100μm2の領域において、ピーク強度(図3左下・左側)は大きな変化を示さない一方で、ピーク幅(図3左下・右側)は位置に依存して大きな変化を示すことが分かりました。ピーク幅は、電子の不純物・欠陥による散乱を反映したものであることから、ピーク幅が最も狭い点(図3左下・右側):赤丸)が最も清浄・平坦な点を与えると考えられます。
高角度分解能 (図3右下):上で決定したピーク幅が最も狭い点(図3左下・右側:赤丸)では、非常に高品質のARPESデータを測定することができます(図3右下・右側)。この時、フェルミ準位上のピーク幅は、0.0038Å-1と見積もられ、これまでに報告されてきた値の中では最も狭く、微視的な電子状態を良く反映しているものと考えられます。このようなMDC曲線の詳細な解析から、本装置の角度分解能は0.05度(0.0006 Å-1)以下と見積もられ、観測されたピーク幅の98%が、試料に由来することがわかりました。従って、本装置を用いることで、物質固有の本質的な情報が得られることがわかりました。
今後の展望
本研究で開発した超高分解能の角度分解光電子顕微分光装置では、高いエネルギー分解能(<260μeV)および高い角度分解能(<0.05度)に加え、高い空間分解能(<5μm)を活用することで、微細電子状態が空間的にどのように変化するのかをはじめて定量的に把握できるようになりました。今後、本装置は世界最先端の物質科学研究の発展に大きく貢献するものと期待されます。