成果

放射光によるフェムト秒超高速緩和過程の時間追跡

概要

九州シンクロトロン光研究センターの金安達夫副主任研究員、富山大学の彦坂泰正教授、広島大学の加藤政博教授(分子科学研究所特任教授)らの共同研究チームは、極端紫外領域(注1)の放射光(注2)を用いて、キセノン原子の内殻空孔状態(注3)が起こす数フェムト秒(1フェムト秒は1000兆分の1秒)の電子的な緩和を追跡することに成功しました。この追跡は、2フェムト秒だけ継続する放射光波束のペアの時間差を数アト秒(1アト秒は100京分の1秒)という高い時間精度で制御することにより実現しました。

極端紫外より短い波長の光を原子に照射すると、原子内部に強く束縛された内殻電子を外側の軌道へと励起することが出来ます。内殻軌道に空孔が生じた原子は高いエネルギー状態にあって非常に不安定なため、フェムト秒からアト秒という極めて短い時間スケールで外側の軌道を周回する電子が内殻空孔を埋めて安定化します。今回、研究グループはアンジュレータ(注4)という光源装置を用いて極端紫外領域で二つの放射光波束を作り、その時間差をアト秒の精度で制御することにより、キセノン原子に生じた内殻空孔の電子移動による緩和を追跡することに成功しました。これは最先端のレーザー技術でのみ可能と考えられていたフェムト秒スケールで進行する電子的な緩和過程の時間追跡が、放射光を用いても可能なことを示した世界初の研究成果です。放射光の短波長特性を利用して、様々な物質の超高速反応の研究へ本手法を応用することで、機能材料や高速動作デバイスの開発、生体分子の放射線損傷の解明へも役立つことが期待されます。

本研究成果は、米国の科学雑誌Physical Review Lettersに2021年3月17日付でオンライン掲載されました。

本研究は、科研費17H01075、 18K03489、 18K11945、20H00164、自然科学研究機構新分野創成センター先端光科学研究分野プロジェクト 01211906の支援を受けて行われました。

掲載誌:Physical Review Letters
論文タイトル:“Electron Wave Packet Interference in Atomic Inner-shell Excitation”(「原子の内殻励起における電子波束の干渉」)
著者(全員):TT. Kaneyasu, Y. Hikosaka, M. Fujimoto, H. Iwayama, and M. Katoh
掲載日:2021年3月17日(オンライン公開)
DOI: : 10.1103/PhysRevLett.126.113202
URL:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.126.113202

広島大学お知らせ
【研究成果】放射光によるフェムト秒超高速緩和過程の時間追跡

1.研究の背景

極端紫外より短い波長の光を原子に照射すると、原子内部に強く束縛された内殻電子を外側の軌道へと励起することが出来ます。内殻軌道に空孔が生じた原子は高いエネルギー状態にあり非常に不安定なため、フェムト秒からアト秒という極めて短い時間(寿命)で外側の軌道を周回する電子が内殻空孔を埋めて安定化します。このように電子が移動することで不安 定な状態からエネルギーの低い状態へと変わることを緩和と呼びます。内殻空孔状態がどのような寿命でどのような過程を経て緩和するのかを明らかにすることにより、内殻空孔を持った不安定な原子の量子力学的な理解を深めることができます。また、内殻空孔状態の緩和による電子やイオンの生成は、放射線と物質との相互作用でも起こっています。そのため、その理解は、生体分子の放射線損傷の初期過程の解明にも役立つ可能性があります。

内殻空孔状態の緩和を詳しく捉えるためには、その緩和の様子を時間を追って観測することが有効となります。そのような時間追跡には、内殻空孔状態の緩和時間よりも短い時間幅の二つの光パルスが必要となります。すなわち、最初の光パルスで内殻励起状態を作り、その緩和を次の光パルスで追跡します。このとき、二つの光パルスの時間間隔は内殻空孔状態の緩和の時間スケールよりも、さらに精密に制御しなくてはいけません。近年、高度に発展したレーザー光源により、そのような測定手法での超高速現象の時間追跡が実現されています。ただし、内殻電子を励起できる極端紫外より短い波長域になると、二つの光パルスを作り、その間隔を精密に制御することは、最先端のレーザー技術を用いても困難です。

電子加速器を使って極端紫外からX 線までの広い波長範囲の光を作り出すことができます。この放射光と呼ばれる光を使って、様々な原子や分子の内殻空孔状態についての研究が行われてきました。今日では放射光による内殻電子の励起は、物質の構造を分析する手段として基礎科学から産業利用までの幅広い研究分野で利用されています。放射光は100ピコ秒(100億分の1秒)程度の時間幅を持つパルス光です。ただし、この光パルスの時間幅は放射源である電子集団の空間的な拡がりで決まっており、それをフェムト秒スケールまで短くすることは原理的に困難です。そのため、内殻空孔状態の緩和のようなフェムト秒からアト秒の時間スケールで進行する超高速反応を放射光を使って時間追跡できるとは考えられてきませんでした。

共同研究グループは放射光による超高速反応の研究に、電子集団からの光パルスではなく、電子集団に含まれる個々の電子が発する波束を利用することを着想しました(図1)。アンジュレータと呼ばれる光源装置の場合、電子は磁石で水平方向に揺さぶられて、ごく短い時間だけ継続する電磁波を放出します。今回の研究で用いたアンジュレータでは電子が放出する電磁波は正確に10回だけ振動する短い波(波束)で、波束の長さは約2フェムト秒です。このアンジュレータを2台使えば、波束ペアを作りだすことができます。そして、その波束間の時間間隔はアト秒精度で調整できることが分かっています。そこで共同研究グループは、この2台のアンジュレータで作った波束ペアを利用し、キセノン原子の内殻4d電子(注5)をターゲットとして、内殻空孔状態の電子緩和というフェムト秒スケールで進む超高速過程の時間追跡に挑戦しました。

図1:アンジュレータによる放射光発生の模式図。放射光パルスの時間幅は電子集団の空間拡がりで決まる(a)。放射光パルスには個々の電子が放射した多数の短い波(波束)が含まれている。本研究では二台のアンジュレータを並べて10回だけ振動する長さ2フェムト秒の波束のペアを生成した(b)。波束ペアの時間間隔は二台のアンジュレータの間にある位相子電磁石で電子の軌道を蛇行させて調整する。

2.研究の成果

分子科学研究所の放射光施設UVSORに設置された二台のアンジュレータを用いて、キセノン原子の内殻空孔状態の時間追跡実験は行われました。共同研究グループはアンジュレータを二台並べ、2フェムト秒だけ継続する時間幅の短い波束のペアを極端紫外領域で作りキセノン原子に照射しました。これによりキセノン原子の4d電子がいくつかの外側の軌道に励起された量子状態が形成されます。この波束ペアによる励起では、一つ目の波束で励起された状態と二つ目の波束による状態の重ね合わせが作られます。そのため二つの波束の時間差を変えながら内殻空孔状態の生成量を測定すると量子的な干渉効果による強度変動が生じると予想されます。

図2は二つの波束の時間差を変えながら、内殻空孔状態が緩和する過程で放出される蛍光の強度を測定した結果です。蛍光強度がおよそ63アト秒周期で変動し、その振幅が時間差の増加によって急激に減少する様子が観測されました。この周期変動は波束ペアによる励起で生じる量子的な干渉効果によるものです。その周期は4d電子を外側の6p軌道へ励起するために必要な光の周波数に対応しています。一方、周期変動の包絡線は、2つの波束の時間差の増加とともに減衰しています。この減衰は、内殻空孔状態の緩和を反映しています。波束ペアの時間差が大きくなると、二つ目の波束が原子に到達する前に一つ目の波束で励起された状態が緩和によって壊れてしまい、重ね合わせによる干渉効果が生じなくなってしまうためです。これまでに行われてきた内殻空孔状態の研究では、分光学的手法で観測されたエネルギー幅を不確定性関係に基づいて寿命へと換算していました。キセノン原子の4d電子の場合,内殻空孔状態の寿命はおよそ6フェムト秒と知られています。今回の観測結果を詳細に検討すると、包絡線の減衰は確かに6フェムト秒の寿命で説明できることが分かりました。すなわち、放射光を用いてフェムト秒スケールで進行する超高速緩和過程を時間追跡できることが実証されました。

図2:上段:波束ペアの時間間隔を変えながら測定したキセノン原子の内殻空孔状態からの蛍光強度。下段:時間領域a、b付近の拡大図。二つの波束による量子状態の干渉効果のため、63アト秒周期の変動が観測される。波束ペアの時間間隔が大きくなると内殻空孔状態の電子緩和のために周期変動の振幅が減衰する。

3.今後の展開・この研究の社会的意義

本研究によって、放射光によるフェムト秒超高速緩和過程の時間追跡が実現されました。この手法によって、生体分子の放射線損傷の初期過程のような超高速反応の理解を深めていくことができます。また、物質の性質や機能を担う電子を高速操作する技術へとつながる可能性もあり、高速応答デバイスや機能材料の開発などにも役立つことが期待されます。本研究では時間幅が2フェムト秒の波束ペアを用いており、この時間幅よりも高速な現象を本研究のアンジュレータの利用では追跡できません。しかし、アンジュレータの磁石周期数を減らすことで、容易にさらなる高速化を図ることが可能です。近い将来、アト秒スケールで進行する超高速反応へと時間追跡を進展させることができるでしょう。

用語解説

注1)極端紫外領域
可視光とX線の中間の波長領域。光の波長は数10nm。戻る
注2)放射光
ほぼ光速の高エネルギー電子が磁場で曲げられる際に放出する電磁波。戻る
注3)内殻空孔状態
原子内部で電子は原子核の周囲のいくつかの層(殻)に分かれて配置されている。この殻に含まれる電子の運動状態は、軌道として分類される。内側の電子の層を内殻と呼び、内殻の 電子が失われた状態を内殻空孔状態という。戻る
注4)アンジュレータ
放射光発生装置の一種。周期的に極性が変わる磁石列を用いて電子に蛇行運動をさせることで指向性の高い、準単色の放射光を発生することが出来る。戻る
注5)4d電子
キセノン原子内の電子は五つの殻に分かれて配置されている。4d電子は内側から4番目の殻に含まれる。戻る