成果

電気磁気効果を示すクロム酸化物とグラフェンの接合界面にスピン偏極した電子状態が形成されることを初めて発見
~反強磁性体磁気メモリとスピントランジスタを直結して磁気情報を直接伝達させる新しいデバイス開発に期待~

本研究成果のポイント

概要

広島大学大学院理学研究科のHou Xueyao (博士後期課程3年)と広島大学放射光科学研究センターの沢田正博准教授を中心とするグループは、クロム酸化物Cr2O3グラフェン(*1)の接合界面にスピン偏極した電子状態が新たに形成されることを第一原理計算(*2)により見出し、放射光(*3)を活用した角度分解光電子分光(*4)実験によりこの電子状態が存在することを実証しました。接合界面に新たに生成されたスピン偏極電子状態(*5)は、磁気的性質を担うクロム酸化物由来のスピンと情報伝達を担うグラフェンの伝導電子が混じり合った状態であることから、トポロジー反強磁性体(*6)磁気メモリ素子の磁気情報をスピントロニクス(*7)材料であるグラフェンに直接伝達させる可能性を示します。本研究成果により、反強磁性体磁気メモリとスピントランジスタを直結する新しいデバイス開発への道が拓かれるものと期待されます。

本研究の成果は、国際科学誌の「Applied Surface Science」に2022年8月30日付の冊子体で出版されます(2022年4月18日からオンライン掲載)。

掲載誌:Applied Surface Science(Volume 594 (2022) 153416)
論文タイトル:Observation of mid-gap states emerging in the O-terminated interface of Cr2O3/graphene: A combined study of ab initio prediction and photoemission analysis(Cr2O3/グラフェンの酸素終端界面に現れるミッドギャップ状態の観測:第一原理予測と光電子分光解析の統合研究)
著者:Xueyao Hou, Mansuer Wumiti , Shiv Kumar, Kenya Shimada, Masahiro Sawada
URL:https://doi.org/10.1016/j.apsusc.2022.153416

広島大学お知らせ
【研究成果】電気磁気効果を示すクロム酸化物とグラフェンの接合界面にスピン偏極した電子状態が形成されることを初めて発見~反強磁性体磁気メモリとスピントランジスタを直結して磁気情報を直接伝達させる新しいデバイス開発に期待~

研究の背景

近年、情報通信社会の進展によりコンピュータによる大量の情報量の記録と演算が日常的に必要とされ、記録媒体である磁気メモリ素子と演算回路の基本要素であるトランジスタ素子は、ともにさらなる高速動作と省電力化が要請されています。

高速アクセスと省電力動作が期待されている新しい記録素子として、反強磁性体磁気メモリの研究が始まっています。電気磁気効果(*8)が発現するクロム酸化物として古くから知られているCr2O3は、反強磁性体にもかかわらず表面または界面終端に強磁性配列が残留することから、薄膜化することにより磁気メモリ素子として応用する研究が進んでいます。このメモリ素子は、電気磁気効果を利用して電界による磁気記録反転操作が可能なため、電流注入や磁場を利用して強磁性体の磁化反転操作をしていた従来の磁気メモリ素子に比べて、省電力で高速制御も可能であると考えられています。さらに、記録媒体が反強磁性体であるためメモリ素子そのものからの漏洩磁場が発生せず、磁気記録の安定性と信頼性に寄与することから、優れた特性を持った新しい磁気記録素子として研究が進められています。

一方、高速動作と省電力化のニーズを満たす新しい演算回路素子として注目されるのは、スピントランジスタ(*9)です。電流の制御による従来の半導体エレクトロニクスに替わるスピントロニクス素子のひとつとして、ソースとドレイン電極に強磁性体を配置したスピントランジスタの実用研究が現在進んでいます。スピントランジスタのチャネル材料については、従来技術を踏襲したシリコンベースのものから研究が進展していますが、チャネル材料をグラフェンに置き換えたグラフェンスピントランジスタの研究も始まっています。チャネル材料がグラフェンになることによりスピン位相の擾乱やスピン流の散乱が著しく軽減されて、ソースからドレインに流れるスピン情報を正確に制御できる高性能のスピントランジスタ開発に繋がるものとして注目されています。

集積回路上でメモリ部と演算部が分離していた従来のエレクトロニクスの基本様式を克服するため、磁気メモリとスピントランジスタを直結する試みも進展中です。メモリと演算素子を直結することにより情報転送に消費される電力と動作時間が節約されるため、情報処理のさらなる省電力と高速動作に貢献できることになります。磁気メモリが本質的に不揮発メモリであることも省電力動作に有利に働きます。

私たちは、メモリ素子と演算素子としてそれぞれ将来性が高い反強磁性体磁気メモリとグラフェンスピントランジスタを直結した技術応用を視野に入れ、これまで明らかにされてこなかったクロム酸化物Cr2O3とグラフェンの接合界面について、微視的な原子配列の検討から開始して、その接合界面に生じる電子状態の解析を進めてきました(図1)。コンピュータサイエンスの手法である第一原理計算と放射光を活用した分光実験を組み合わせることにより、スピントロニクスにおける情報伝達に重要な役割を果たすな界面電子状態を発見することに成功しました。

図1 研究対象としたクロム酸化物Cr2O3とグラフェンの界面の概念図

研究成果

本研究成果は、電気磁気効果が発現するクロム酸化物Cr2O3を数原子層の厚さで薄 膜化して、原子1個分の厚みしかないシート状の炭素原子からなるグラフェンに接合させた構造に関するものです(図2)。本研究では、グラフェンの原子配列と格子整 合した数原子層のCr2O3の結晶構造モデルの検討から開始して、それまでの研究報告と矛盾がなく安定形成される界面モデルを絞り込みました。Cr2O3層が酸素層で終端 する界面モデルについて、第一原理計算による電子状態予測を実施したところ、Cr2O3バンドギャップ(*10)内にクロム原子の3d 軌道に由来する新たなスピン偏極電子状態(in-gap状態)が形成され、この状態がグラフェンのπ*軌道と混成して界面に局在することを見出しました。さらに、このin-gap状態が存在することを確かめるために、実際にCr2O3をグラフェン上にヘテロエピタキシャル成長させた人工積層構造を作製して、放射光を活用した角度分解光電子分光実験を実施しました。この実験により、Cr2O3のバンドギャップ内のフェルミ準位近傍にクロム原子の3d軌道に由来するバンドが存在することが確認でき、計算で予測されたin-gap状態が界面に存在 することを実証しました。

図2 (a)界面構造の検討により最適化された構造モデル。青,赤,茶色で表されている球体は,それぞれ断面方向から見たクロム,酸素,炭素の原子位置を表している (b) 第一原理計算による上向きスピンの電子状態予測。物質内における電子状態(電子の 運動の様子)は,そのエネルギーと運動量の関係で表すことができる。青と茶色の曲線群が,それぞれクロムとグラフェン(炭素)の電子状態であり,赤枠内が本研究で発見されたin-gap状態に対応する。 (c)角度分解光電子分光実験の結果。放射光を照射して物質内から電子を放出させた時の電子の放出方向と速度を計測することにより,物質内にその電子が存在していたときの電子状態を直接調べることができる。 赤枠で示すように,計算で予測されたin-gap状態が実際に存在することがわかる。

今後の展開

クロム酸化物Cr2O3は、昔からよく知られている電気磁気効果を示す反強磁性体で すが、最近になって反強磁性体磁気メモリーの実現可能性が検討され、再び注目を集めている古くて新しい物質です。一方、グラフェンはスピントロニクス材料として、スピン流を利用した電子回路素子であるスピントランジスタへの応用が検討されています。本研究成果は、これらの接合界面に、クロム酸化物由来のスピン偏極電子と グラフェンの伝導電子が混じり合った特別な電子状態が形成されることを初めて見 出したものです。これは、反強磁性体磁気メモリ素子の磁気情報をスピントロニクス材料のグラフェンに直接伝達させる可能性を示すもので、磁気メモリとスピントランジスタを直結する新しいデバイス開発への道が拓かれるものと期待されます。

本研究では、磁気情報伝達に応用可能な電子状態(in-gap状態)と、それが実現される界面構造を明らかにしましたが、実験による検証に用いた実際の積層試料では、 部分的に異なるタイプの界面構造が形成されことも指摘しています。今後の応用に向けた研究では、in-gap状態が形成される界面だけを選択的に成長させる薄膜作製技術の開発が望まれます。

用語説明

(*1)グラフェン
炭素原子が平面的な化学結合によりハニカム構造を形成した、単原子層のシート状物質。黒鉛から単原子層を抜き出した構造に相当する。炭素原子の2s軌道と2個の2p軌道が化学結合に関与して、残りの2p軌道が隣接する炭素サイト間で繋がりπ軌道を形成して電子伝導に関わる。 グラフェンのπ軌道に属する電子は、グラフェン内を動き回りエネルギーバンドを形成するが、通常の金属内の自由電子のエネルギーバンドと異なり、特異な性質を持ったエネルギーバンド(ディラックコーン)が形成されることが知られている。グラフェンのπ軌道の電子は、質量ゼロのディラック粒子として振る舞い電子の移動度が極めて高くなるため、デバイス中の電流やスピン流の媒体として理想的であるとして、近年、特に注目されている。なお、ディラックコーンのうち、電子の空準位がある伝導帯側をπ*軌道とあらわす。 戻る
(*2)第一原理計算
実験等であらかじめ得た計測パラメタ等を前提とせずに、物質を成り立たせている基本要素である原子核と電子、および、それらの間に働く相互作用だけを考えて、量子力学の基本法則から物質の結晶構造や電子状態を解く計算。実際には、現実的に想定される結晶構造を初期構造として与えて計算を開始したり、電子間の相互作用を取り扱うために適当な近似手法を導入する必要 がある。 戻る
(*3)放射光
加速器により光の速度の近くまで加速された電子ビームを磁場によって曲げるときに放射される強い光。専用のシンクロトロン加速器を備えた実験施設で放射光実験が可能である。本研究では、紫外線~軟X線域の放射光の利用ができる広島大学放射光科学研究センターの小型放射光源 (HiSOR)を活用した。 戻る
(*4)角度分解光電子分光
物質に光を照射して物質内部の電子が光電効果によって放出されとき、放出される電子の放出方向を含めた速度を計測することにより、物質内部の電子状態(電子の運動の様子)を分析する 実験手法。光電子が放出される過程で、エネルギーと運動量が保存されるため、物質内部の電子状態をエネルギーと運動量の対応関係(バンド分散)として直接調べることができる。 戻る
(*5)スピン偏極電子状態
磁性体等において、電子がそのスピンに依存して異なるエネルギーバンドを示す場合に、片方のスピンの電子数と他方のスピンの電子数のバランスが崩れて、一方のスピンの電子が他方より多く価電子帯に充填された電子状態。電子は素粒子の性質として、上向きと下向きの2つの独立 なスピン状態のいずれかをとる。電子スピンは、上向きまたは下向きの極小の磁石としての性質を示し、スピン偏極した原子サイトがスピンの向きを揃えて集合すれば巨視的な磁石になる。  戻る
(*6)反強磁性体
結晶内の隣り合う磁性原子サイトが、互いに反対方向のスピンで配列した物質。隣り合う磁性原子のスピン偏極が同じ大きさでその向きを交互に配列させるため、上向きと下向きのスピンが 打ち消し合い、物質全体としては磁石の性質を示さない。一方、隣り合う磁性原子のスピンが同じ方向に揃って、物質全体として磁石の性質を示すものを強磁性体という。クロム酸化物Cr2O3は反強磁性体であるが、クロムの原子層ごとに上向きと下向きスピンが交互に配列するため、クロム原子層の終端面となる表面または界面のスピンの向きにより2つの状態を分別できる。これ を利用して磁気記録媒体として応用することができる。  戻る
(*7)スピントロニクス
従来のエレクトロニクス技術で利用されてきた電子の電荷だけでなく、電子のスピンを利用することによって、新しい機能を持つ電子デバイスを実現する技術。磁気メモリ、ストレージデバイス、磁気センサ素子、スピントランジスタ等への応用研究が進められている。  戻る
(*8)電気磁気効果
外部から電場をかけることにより物質に磁化が誘起されたり、磁場をかけることにより物質に電気分極が誘起される現象。通常、物質の磁化は磁場をかけることにより、また、電気分極は電界をかけることにより誘起されてその状態を制御することができるが、外場とそれに対する応答の対応関係が逆転した電気磁気効果を示す物質群が存在する。  戻る
(*9)スピントランジスタ
従来のエレクトロニクスで活用されてきたソース、ゲート、ドレインの3極を持つ電界効果ト ランジスタ(FET)と類似の構造をもち、ソース電極からスピン流を流して、ゲート部でのスピン方向の制御やスピン流の制御を経て、強磁性体のドレイン電極でスピン流の検出をする仕組みをもつ半導体素子。従来のFETの機能に加えて電子スピンの状態制御やスピン流の制御が含まれるため、より高度な回路技術に応用ができるものと期待されている。電流またはスピン流が流れる領域をチャネルと呼び、不純物や格子欠陥による電子の散乱が起きにくく、電子のスピン状態を擾乱させない二次元性の強い物質が必要とされる。  戻る
(*10)エネルギーギャップ
価電子が充填されたエネルギーバンド(価電子帯)と空準位のエネルギーバンド(伝導帯)の間に、電子状態を取ることができない禁制帯があるとき、この禁制帯やそのエネルギー幅のこと。 クロム酸化物Cr2O3は、通常の三次元的な結晶(バルク結晶)ではエネルギーギャップをもち、 価電子帯から伝導帯への電子遷移が制限されるため絶縁体となる。本研究で着目した界面においては、このバンドギャップ内に、スピン偏極して伝導性が確保された電子状態が生成される。  戻る