成果

共鳴逆光電子分光法での非占有電子状態の観測

概要

広島大学放射光科学研究センターに建設、整備された軟X線逆光電子分光装置を用い、Mott-Hubbard系物質Y1-xCaxTiO3の組成比x = 0, 0.39, 1についてTi 3p-3d 共鳴逆光電子分光測定を行い、非占有電子状態密度の直接観測を行った。Ti 3d-3p吸収領域において、明瞭な共鳴極大、共鳴極小のスペクトルが得られ、Ti 3d部分状態密度を抽出することができた。また、温度による金属絶縁体転移を示す組成比x = 0.39に対する測定では、絶縁体から金属に転移することで、フェルミ準位近傍の強度が増大し、フェルミ準位より上2.2eV付近の構造の強度は減少することが観測され、非占有準位側でのコヒーレント、インコヒーレント部分の特定することができた。

背景

ペロブスカイト型3d遷移金属酸化物は、さまざまな物性を示す興味深い物質である。それは、キャリアのドーピングや3d 電子バンドの幅の制御により遍歴性と局在性を行き来する3d 電子によるものである。その3d 電子状態を直接観測するために、これまでも数多くの測定がなされてきた。特に光電子分光法による観測は、近年の目覚しい装置の高度化により、分解能が数meVの装置は珍しくなくなり、それを用いた占有電子状態に対する詳細な研究が非常に多くなされ、その物性と電子状態との関係は明らかになりつつある。一方、近年Mott-Hubbard系物質に対して、電子相関効果を考慮にいれた動的平均場近似(DMFT)を使った電子状態密度の理論計算がなされている。DMFTは非占有電子状態も計算できることから、より進んだ物性の理解の為、実際の非占有電子状態を観測し理論との比較が望まれる。

非占有電子状態に対する実験観測は、酸化物ではO 1s-2p内殻吸収スペクトルなど間接的な測定例は多いが、直接観測できる逆光電子分光実験は原理的な暗さや装置の到達分解能の低さから、多くはなされていない。逆光電子分光法は、Bremsstrahlung sochromat spectroscopy(BIS)モードとTunable photon energy(TPE)モードと呼ばれる測定法がある。BISモードは、一つのスペクトルを測定する場合、入射電子エネルギー(Ek)を走査し、物質より放出された一定エネルギーの光子(よく使われるエネルギーは、hν〜 9.4 eV)の数を測定するものである。光子の取り込み立体角の大きい比較的明るい光学系をもつ装置を組むことができ、逆光電子分光法の原理的な暗さを補っている。一方、TPEモードは、Ekを一定とし、放出光子エネルギーを測定していく方法である。測定装置の光学系は、光子の取り込み立体角を大きくしにくいものを組まざるを得ず、暗いという困難さがあるが、放射光を使った光電子分光測定に対応する可変入射エネルギーを利用した実験が行えるメリットがある。すなわち、共鳴や散乱断面積違いを利用した逆光電子分光測定により得られたスペクトルより、目的の電子軌道を選択的に抽出することなどが可能となり、幅広い情報を得られることが期待できる。

我々は、TPEモードでの測定を可能にするために軟X線逆光電子分光装置の建設、整備を行ってきた(図1)。入射電子は、BaOを陰極としたErdman-Zipf型の電子銃から試料に入射される。サンプルより放出された光子は、球面不等間隔回折格子を用いた斜入射分光器により分光され、MCP上に結像される。分光器の特徴は、不等間隔回折格子を用いることで、結像位置が分散方向に対して垂直に近い直線上に並ぶことになり、光子がMCPに垂直に近い角度で入射され、取りこぼしを抑え、明るく測定できる形となっている。観測可能な光子エネルギー範囲は10〜100 eVであり、3d 遷移金属の3p-3d 吸収領域での共鳴逆光電子分光実験が可能である。エネルギー分解能は、Ek〜 45 eVに対して約0.5 eV。サンプルマニピュレーターにはHe循環型冷凍機とヒーターを備え、試料温度17-350 Kでの測定が可能となっている。

図 1 (左)軟X線逆光電子分光測定装置 (右)分光器光学系の配置

図 2 (上)Ti 3p-3d 吸収領域でのCaTiO3とYTiO3の逆光電子分光スペクトルの入射電子エネルギー依存性。(下)それぞれの構造でのスペクトル強度変化

研究内容

軟X線逆光電子分光装置を用い、ペロブスカイト型3d 遷移金属酸化物Y1-xCaxTiO3の組成比x=0, 0.39,1に対し3p-3d 共鳴逆光電子分光スペクトルの測定を行った。特に150Kで急峻な金属絶縁体転移を示す組成比x=0.39の試料については温度によるスペクトルの変化を追った。

図2に3d 電子数が0個のバンド絶縁体CaTiO3と1個のMott絶縁体YTiO3について、各Ek での逆光電子分光スペクトルと図に示された構造での強度変化を示す。強度変化の一番大きい構造Aに注目するとスペクトル強度がEk = 46 eVで極大となり、36 eVで極小となる。これは直接光子放出過程と、Ti 3p-3d の内殻励起が起こることによる間接放出過程の量子干渉による共鳴現象で、Ti 3d成分が大きい構造ではEk に対する強度の増減が大きくなる。よって構造Aは、主としてTi 3d 軌道からなることがわかる。

次に、非占有電子状態のTi 3d の部分状態密度を求めるために、極大スペクトルと極小スペクトルの差分スペクトルを、比較のためにLDA計算により求められたTi 3d の部分状態密度と共に、図3に示す。CaTiO3は、フェルミ準位より上E = 2.2 eVや7.8eVの構造などバンド計算と良い一致を示した。一方、YTiO3の差分スペクトルは、バンド計算より1eV程度高いエネルギーに構造が観測され、エネルギーギャップを持つなど、金属的な電子状態密度をもつLDA計算とは一致しない。そこでPavariniらによる電子相関を考慮に入れたDMFTの計算で得られたTi 3d 電子状態密度を、Ti 3p-3d 共鳴光電子・逆光電子分光差分スペクトルと比較した結果を示す(図4)。光電子分光測定で観測される下部ハバードバンド、逆光電子分光測定で観測された上部ハバードバンドのエネルギー差、3d-3d 有効クーロンエネルギーが、〜3.3 eVと求められ、これはDMFTの計算結果と良い一致を示した。また、ギャップを持つ構造や高エネルギー側に裾を引く形状も良い一致を見られ、電子相関によりTi 3d バンドが変化を受けていることがわかった。このように、Ti 3p-3d 共鳴逆光電子分光測定によって、正確なTi 3d 電子状態を観測でき、理論計算との直接比較が可能である。

次に、150 Kにおいて金属絶縁体転移示すY0.61Ca0.39TiO3についてTi 3p-3d 共鳴逆光電子分光測定を行った。図5に共鳴極大エネルギー Ek = 46 eVの温度変化スペクトルと変化をわかりやすくするために、各温度でのスペクトルから250Kでのスペクトルの差分をとったスペクトルを示す。低温で金属となるY0.61Ca0.39TiO3は温度降下に伴い、フェルミ準位付近の強度は増加し、E = 2.2 eVの構造の強度は減少する様子が観測された。これは、光電子分光スペクトルの温度変化とフェルミ準位を中心に対称的であことから、2.2eVの構造はハバードバンドの名残であるインコヒーレント部分であり、フェルミ準位近傍には、金属電気伝導を担うコヒーレント部分(準粒子バンド)の存在が観測されているものと解釈できる。

さらに、金属相と絶縁体相の差分スペクトルの入射電子エネルギー依存性を調べた。図6に、得られた差分スペクトルとコヒーレント部分とインコヒーレント部分の積分強度のエネルギー依存性を示す。インコヒーレント部分は、Ek = 44 eVで極大となり Ek = 36 eVでほとんど強度が無くなる様子が観測され、この振る舞いはTi 3p-3d 共鳴現象と考えられる。一方、コヒーレント部分は、インコヒーレント部分の強度変化と比較してほぼ一定しており、著しい共鳴現象は観測されなかった。よって、インコヒーレント部分が主としてTiサイトに局在した3d 軌道から構成され、コヒーレント部分は、Ti 3d 電子はO 2p などの他の軌道と混成し遍歴したエネルギーバンドと形成するというモデルと矛盾しないことがわかった。

図 3 CaTiO3とYTiO3の共鳴極大と共鳴極小の差分スペクトルとLDAバンド計算との比較

図 4 実験により求められたTi 3d 部分状態密度とDMFT計算との比較

図 5 (a)Y0.61Ca0.39TiO3にTi 3p-3d 共鳴スペクトルの温度変化。(b)各温度から250K のスペクトル引いた差分スペクトル。

まとめ

光電子分光法と比較して実験困難な点が多い逆光電子分光法ではあるが、今回行った入射電子エネルギー可変性を生かした共鳴スペクトルなどを取ることで、多くの情報が引き出せる。最近、低エネルギー放射光を用いた光電子分光実験では、終状態効果による影響が見られ、議論の対象となっており、非占有電子状態の情報を得ることは、光電子分光の研究を進める上でも重要と思われる。今後、さまざまな単結晶サンプルに対する角度分解逆光電子分光や更なる装置の改良を進める予定である。

図 6 (a)差分スペクトルの入射電子エネルギー依存性。(b)コヒーレント部分とインコヒーレント部分の積分強度の入射電子エネルギー依存性。